官報
みなさんは、「官報」を御覧になったことがありますか。官報は、いわば日刊の政府の機関紙というべきもので、現在は、独立行政法人である国立印刷局が印刷・発行しています。
官報には実に様々な情報が掲載されています。制定された法律や政省令、国会事項、官庁報告、資料(閣議決定事項等)などは、目にしたことがあるのではないでしょうか。他にも、法令によって多くの事項の「公告(広く一般の人に知らせること)」の方法が官報への掲載とされていることから、官報には、各省庁の公告、裁判所の公告、地方公共団体の公告、会社の公告なども掲載されています。さらには、衆参本会議の会議録も官報に掲載されています(衆議院規則第206条本文、参議院先例録〔平成二十五年版〕三八八参照)。
官報の歴史は古く、創刊号は明治16年7月2日に発行されました。官報の発刊に際して出された明治16年太政官達第22号によると、当時の官報には、現在の掲載事項には見られない「公使領事報告」や「外国新聞抄訳」が掲載されている「外報」欄などもあり、新聞のような色合いもあったことがうかがえます。また、同太政官達第7条によると、当時は、「省院庁府県裁判所警察署」や軍の機関、官立学校のほか、「上長官以上ノ武官奏任以上ノ文官及郡区長」といった公務員個人にも官報の購読義務が課されていましたが、現在はこのような義務はありません。
ところで、法律は成立すると官報に掲載されますが、これには、法律の制定という観点から重要な意味があります。法律は両議院で可決されることによって成立しますが(憲法第59条第1項)、成立した法律が現実に拘束力を発生するためには、公表して一般国民が知ることのできる状態に置く行為である「公布」という行為が必要とされています(国会法第65条第1項、第66条)。官報に成立した法律が掲載されているのは、この「公布」が行われているということなのです。ところが、この官報掲載による法律の公布という扱いは、いわば慣例によるものであり、実は、法律の公布方法についての法的根拠は存在しません。旧憲法下では「公文式」(明治19年勅令第1号)とこれを受け継いだ「公式令」(明治40年勅令第6号)に、法令の公布は官報をもってすることが明文で規定されていましたが、公式令は新憲法の施行と同時に廃止されました。その後、現在に至るまで、公式令に代わるものは設けられていません。もっとも、最高裁も、公式令廃止後も法令の公布を従前どおり官報掲載によって行うことを相当としています(昭和32年12月28日大法廷判決)。
官報は、官報販売所で入手できるほか、国立印刷局のホームページ<https://kanpou.npb.go.jp/>で直近30日間分の内容が無料で閲覧できるようになっています。一度官報をじっくり眺めてみてはいかがでしょう。面白い発見があるかもしれませんよ。
- ※ この記事は、参議院法制局の若手・中堅職員の有志が編集・執筆したものです。2020年4月に編集・執筆したものですので、現在の情報と異なる場合があります。なお、本記事の無断転載を禁じます。