参議院法制局

法律の公布・施行に関する事件

  法律は、国会で制定され、天皇によって公布された後、その法律に定められた施行日から施行されます。その法律を施行するために特に準備や周知のための期間が必要ない場合や緊急を要する場合には、「この法律は、公布の日から施行する。」として即日施行を定めているものも多くあります。

 この周知期間を置かなかったことが問題となった事件があります。昭和29年の「覚せい(、、)剤取締法の一部を改正する法律」は、同年6月12日に公布され、即日施行となっていました。折しも、その日の午前9時ごろ、広島市内において、その改正法によってより重い罪となることになった行為をした人がいました。その裁判で、弁護人は、公布とは国民がその法律の内容を知りうる状態に置かれた時にあったというべきであり、当該法律の公布を記載した官報が広島市で一般に購入できたのは翌13日であるので、犯行時にはこの法律はまだ施行されている状態にはなかったとして、より軽い従前の刑罰が適用されるべきであると主張しました。この裁判の上告審で、最高裁判所は、国民が官報を最初に閲覧・購入できる状態になった時に公布があったといえるとする判断を示して、本件の場合、それを東京の官報販売所において閲覧・購入ができた時刻である12日の午前8時30分としました(昭和33年10月15日大法廷判決)。

 この判決をどう思いますか。今日のように、インターネットで閲覧できる状況ならともかく、紙の官報しかない昭和29年の時点で、広島の人に、東京で、午前8時30分に官報を読めば、法律が改正されたことが分かったはずだといわれても、無理な話でしょう。そもそも、法律が官報で知らされるということや、官報がどこで入手できるかも知らない人が多いのではないでしょうか。それにもかかわらず、以後、この最高裁判所の考え方が法律の公布・施行の時期に関する通説となっています。

 このように最高裁判所が考えたのは、この問題は、国民が実際にその法律の内容を知ることができたかどうかを基準とするのではなく、国民が知ろうとすれば知ることができる状態になったかどうかということを基準とすると考えたからでしょう。ここでは、一つの擬制がなされています。「擬制」というのは、そうみなしてしまうということです。つまり、国民が実際には法律の内容を知ることができるかどうかを問わずに、それができるものとみなしたということです。

 最高裁判所の考え方以外に、法律家の間では、(1)公布の意思が決定された時点、(2)官報の日付の日の午前零時、(3)官報の発送手続の完了時、(4)各地において当該地の官報販売所で閲覧・購入できるようになった時点、(5)全国の官報販売所で閲覧・購入できるようになった時点、という説がありますが、いずれにしても、どの時点で擬制をするかということです。

 全ての国民が法律の内容を知ることができるようにすることは、現実には不可能なので、こうした擬制を行わざるを得ないことになるのですが、そうはいっても、擬制が過ぎて一般の人の常識から離れた考え方をしてしまうことにならないようにする必要があるといえます。

 立法にあたっては、国民に不利益を与える法律、特に刑罰を科する法律などは、原則として、即日施行にはしないと考えられています。実際、刑罰を伴う法律の施行期日をざっと見渡してみても、「特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法」(平成16年法律第125号)の10日、「重要施設の周辺地域の上空における小型無人機等の飛行の禁止に関する法律」(平成28年法律第9号)(制定時の題名は「国会議事堂、内閣総理大臣官邸その他の国の重要な施設等、外国公館等及び原子力事業所の周辺地域の上空における小型無人機等の飛行の禁止に関する法律」)の20日のように、周知等のために必要な最低限の日数は確保しているものが多いように見受けられます。

 緊急の必要により、国民に不利益を与え得る内容にもかかわらず急いで施行した最近の例を、法律ではなく政令ですが、2つほど御紹介します。「新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令」(令和2年政令第11号)及び「検疫法施行令の一部を改正する政令」(令和2年政令第12号)は当初、公布日から"10日を経過した日"を施行日として公布されました。しかし、その後の国内外における新型コロナウイルス感染症の発生の状況の変化等に鑑み、公布から3日後に、これらの政令の施行日を、公布日から"4日を経過した日"に前倒しする政令(令和2年政令第22号及び令和2年政令第23号)が即日施行されました。また、こちらも新型コロナウイルス感染症の関係で、衛生マスクの転売を禁止する「国民生活安定緊急措置法施行令の一部を改正する政令」(令和2年政令第42号)は、公布日から"4日を経過した日"が施行日とされました。

  • ※ この記事は、参議院法制局の若手・中堅職員の有志が編集・執筆したものです。2020年4月に編集・執筆したものですので、現在の情報と異なる場合があります。なお、本記事の無断転載を禁じます。